インタビュー第3回 「夢をかなえる力」で未来へ走り出そう!

2003年12月、日本の学生たちの手で作られた、燃料電池×太陽電池のハイブリッド・ソーラーカー「アポロンディーヌ号」がオーストラリア大陸横断4,000kmを9日間で走破することに成功しました。 いくつもの苦難を乗り越え、ギネスブックにも載る予定であるこの新記録を打ち立てたのは、東京都町田市にある玉川大学工学部の「ソーラーチャレンジ・プロジェクト」。 今回は、このプロジェクトの創設者であり、オーストラリアではチームの総監督をつとめた工学部教授・小原宏之先生にインタビュー。 研究開発・モノ作りを通じて環境教育に携わる教育者としての立場から、未来に挑戦する熱い想いを語っていただきました。

1 プロジェクトが歩んできた、長い道のり
2 世界初のハイブリッド・ソーラーカー
「アポロンディーヌ号」でオーストラリア大陸横断へ
3 夢を、夢のままで終わらせないために

プロジェクトが歩んできた、長い道のり

玉川大学工学部教授の小原宏之先生。

玉川大学工学部教授の小原宏之先生。

渡り鳥の「チョウゲンボウ」からその名をとったソーラーカー第1号「スーパーゲンボウ」は全長6m×全幅2m、2人乗り。

渡り鳥の「チョウゲンボウ」からその名をとったソーラーカー第1号「スーパーゲンボウ」は全長6m×全幅2m、2人乗り。

ソーラーカー第2号 双子車「ドルフィン」。白い車体のものが大学チームの「ホワイトドルフィン」。

ソーラーカー第2号 双子車「ドルフィン」。白い車体のものが大学チームの「ホワイトドルフィン」。

いま地球にある化石エネルギーは、いずれは枯渇する。 再生可能なエネルギーを有効活用することの重要性を未来を担う若者たちに伝えたい-こうした理念のもと、環境教育の一環として、 私が玉川大学でソーラーカーの開発プロジェクトを立ち上げようと思ったのは、1996年。 幸運にも、日本でトップクラスのカーボン専門企業の全面協力をいただけることになり、計画が具体化したんです。

もともと玉川大学には「労作(実践)」を通して豊かな人間性を養うという教育が根付いていたこともあり、 1997年に「ソーラーエネルギープロジェクト」を発足することができました。

このプロジェクトの第1期(1997~99年)では、太陽エネルギーの有効活用技術を学び、 開発する目的で、ソーラーカー「スーパーゲンボウ」の設計・製作に取り組みました。 工学部から20名の学生が集まり、電子工学科は電装、機械工学科はボディ・足まわり、 情報通信・経営工学科はテレメントリーシステム・エネルギー管理を担当。 ボディ製作については、みな経験ゼロでしたから、協力会社さんの工房で、型製作から仕上げ整形までの実習を受けたんです。

成果を実証すべく、レースにも参加しましたが、最初の2年は思うような結果が出ませんでした。 上位の成績を収めることができたのは1999年。 プロジェクトを1、2年生主体とし、上級生が下級生を指導し、技術の伝承ができるように改革してからです。 この時は、自動車会社で整備関係の仕事をしていた方を指導員に招き、実践的なノウハウを教えていただきました。

第2期(2000~2001年)では、もっと本格的な、個性豊かな車を作ろうと、学内の旧校舎を改造して、工房を開設。 玉川学園は一環教育を行っている学校なので、1つの型から大学生チーム用と高等部のチーム用、 2つの車を作れば時間と費用が節約できるのでは?と提案し、双子のソーラーカー「ドルフィン」を製作しました。

これが、秋田県大潟村での「ワールド・ソーラーカー・ラリー(WSR)」で2年連続総合優勝を果たし、 オーストラリア大陸縦断「ワールド・ソーラー・チャレンジ(WSC)」でも、クラス別順位では大学チームが2位、 高校部チームはみごと優勝。「スーパーゲンボウ」に比べ、平均時速は10kmもアップしていました。

けれども、このころ私は、学生たちが勝つことにとらわれすぎていると感じていました。 WSCで総合優勝したのは、高価なガリウム砒素太陽電池を使用したチーム。 しかし、ガリウムも砒素も廃棄する時に環境に悪影響を与えます。 さらに上位を狙うために、この電池への取り替え案も出ましたが、 それでは、環境に対する意識向上をはかるために始めたプロジェクトの意味がありません。

そこで、環境教育の本来の目的にかなう、自然エネルギーを活用したソーラーカーを進化させるべきではないかと考え、 「ハイブリッド・ソーラーカー」が誕生することになったんです。

2 世界初のハイブリッド・ソーラーカー
「アポロンディーヌ号」でオーストラリア大陸横断へ