FCV最前線第2回 急速な進化を見せる日産FCV、その挑戦は続く

2003年12月、日産自動車は、高圧水素式燃料電池車「X-TRAIL FCV 03年モデル」を発表し、限定リース販売を開始しました。 現在、国内外で高い評価を得ている「X-TRAIL FCV 03年モデル」ですが、そこに至るまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。 その開発の経緯、そして日産FCVの今と将来への展望、さらに海外での活動についてもご紹介します。

1 短期間で開発が進んだ、その理由
2 日産FCVの今を見つめ、明日を語る
3 北米で、上海で、FCVに大きな注目と高い評価が。

短期間で開発が進んだ、その理由

日産自動車株式会社FCV開発部部長の萩原太郎さん

日産自動車株式会社FCV開発部部長の萩原太郎さん

日産自動車株式会社第二技術研究所主管研究員の亀ケ谷茂さん

日産自動車株式会社第二技術研究所主管研究員の亀ケ谷茂さん

「XTERRA FCV」の前で小泉首相と握手する日産のカルロス・ゴーン社長

「XTERRA FCV」の前で小泉首相と握手する日産のカルロス・ゴーン社長

日産自動車がFCVの開発に着手したのは1996年。 1999年には、メタノール改質式の燃料電池車「ルネッサFCV」での走行実験を開始しています。けれども90年代半ば、経営状態が思わしくなかった同社では、すぐには収益に結びつかないFCV開発には本格的に着手できずにいました。1999年に再建計画・日産リバイバルプランがスタートし、カルロス・ゴーン氏が社長に就任してからも、2年間は小規模な開発のまま。その間に自動車メーカー他社のFCV技術開発が進む中、本格的な開発着手で他社に先行を許してしまった事は否めません。

その後ようやく経営が安定して余裕が出てきた2001年、日産はルノーと共に850億円を投資し、5年計画のFCV開発プログラムをスタート。 それまでの遅れを一日でも早く取り戻すための策として、宇宙航空などの燃料電池技術で世界的に知られる、米国コネチカット州のUTCFC社と技術提携。FCVの共同開発に取り組み始めました。これを機に日産のFCV技術は急速な発展を遂げることになったのですが、日本とアメリカを行き来しての共同開発には苦労も多かったはずです。

FCV開発部部長の萩原太郎さん、第二技術研究所主管研究員の亀ケ谷茂さんに、当時のお話をうかがいました。

萩原さんが、この日米共同開発にあたり最も苦労したのは「互いを知ること」だったそうです。
「UTCFC社は燃料電池のプロ、日産は車のプロですが、互いの技術に関しては知らないことが多く、開発当初は、双方のギャップを埋めるため、要求を理解し合うことに多くの時間を費やしました。 UTCFC社はスペースシャトルなど宇宙航空分野の優れた技術を有していますが、その技術を単純に乗用車に適用することはできません。 燃料電池の大きさはもとより、負荷などの使用条件や振動などの環境条件も異なりますから。 しかし、互いの要求が理解できれば、後はひとつひとつの問題をクリアする細かい技術の積み重ねですから、それを着実に形にしていくことで、前進できたのではないかと思います。」

また、当然のことながら、FCV車は燃料電池だけで動くものではないので、ステアリング、エアコン、ブレーキといった、従来のガソリン車ではエンジンに頼っていた補機類の働きを電気的に作り出す、まったく新しいシステムづくりが求められます。 新しい部品も必要であり、もちろん、生産技術も不可欠でした。

「生産ノウハウの面では、これまでモノづくりに携わってきた日産が主導的な役割を果たしたと思いますが、UTCFC社と日産FCV開発チームだけではできないこともあったのです」と亀ケ谷さんはいいます。その大きな支えとなったのは「社内外のさまざまな技術をもった人たちの力」だったとか。

「当社の電気自動車、ハイブリット車、圧縮天然ガス車の部品づくりに関わってきた技術者、そして要求に的確に応えてくださった部品メーカー各社の皆さんのご協力がなければ、短期間のうちに開発を進めることはできなかったと思っていますし、深く感謝しています。」

日産のFCV開発が本格的にスタートした2001年の4月には高圧水素式「XTERRA FCV」で米国での公道走行実験を開始。 翌2002年には「X-TRAIL FCV 02年モデル」で国内公道での走行実験を開始。 そしてついに2003年末、当初の計画を2年も前倒しし、さらに改良を加えた「X-TRAIL FCV 03年モデル」を発表。 限定リース販売開始にこぎつけました。共同開発に着手してからわずか3年という、驚異的なスピードで目標を達成したのです。

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