インタビュー第4回 自動車を夢見るすべての子供たちへの、最高の贈り物にしたい。

燃料電池車、といえば四輪自動車をイメージされる方は多いでしょう。しかし、ここに燃料電池バイクを作ってしまった人々がいます。それは、都立墨田工業高校の先生と生徒たち。 彼らの取り組みは、単なる授業の一環としてではなく、モータリゼーションの進化にまつわる壮大な物語の、その第一章になるはずです。

バイク
1 時代の変化と温故知新の融合~こうして燃料電池バイクは誕生した
2 ペダルを漕がず走る姿に驚嘆の声~年を追って進化する燃料電池バイク
3 経験は知識となり、次の目標を生み出す~論より証拠を見せつけろ

時代の変化と温故知新の融合~こうして燃料電池バイクは誕生した

佐藤昌史、41歳。いつも温和な表情を浮かべる彼の職業は、高校の先生です。佐藤先生と生徒たちは、学校の授業の中で燃料電池バイクを作りました。

それにしても、なぜ燃料電池バイクを作ることになったのでしょうか。
佐藤昌史

そうですね。では初めに私自身とクルマとの関わりからお答えします。

自動車に興味を持ち始めたのは小学校5、6年の頃だったかな。中学生になると、近所の裏山でバイクを運転させてもらうのが楽しくて楽しくて。 高校生になると、ヤマハ発動機のサテライトチームとも言える「RSカタクラ」でオートバイレースに参戦させてもらいました。そこでレースマシンの仕上げ方などを勉強することができました。

「速く走らせるにはモノの道理を理解すること。知恵と手先を使ってカタチにすること」という、モノづくりの本質ともいえる大切な部分を、その当時、知らぬ間に教えられていたんですね。 もちろん好きな世界だし、興味はあるし。それこそ、大自然の山々に生きる樹木が水を蓄えるように、どんどん新しい知識を吸収できました。 現在の自分にとって、それが大きな財産になっているんだと思います。

環境問題が声高に叫ばれる中で、時代の変化を認識しなくてはならない現実

燃料電池バイクを製作したことについて、「なぜ二輪を選んだの?」と、よく聞かれます。当然、そこにはいろんな理由がありました。 そうですね…まず、燃料電池と自動車というものを、切り離して考えていただけますか?。

最初に、動力を発生させるためのエンジンとしての燃料電池について、です。なぜ燃料電池なのか、という理由です。

今から数年前になりますが、銀座のショウルームでBMWのV12水素エンジンを見たんです。当時は燃料電池などには興味がなく、実用化も難しいだろうと個人的に考えていた時期です。 しかし化石燃料以外のエネルギーを導入しようとする自動車メーカーの姿勢を垣間見たことは事実です。私の目の前に、水素エンジンがあったわけですから。

たしかに自動車は排気ガス問題を抱えていますし、さらに将来は化石燃料の枯渇にも直面するでしょう。 環境問題が声高に叫ばれる中で、時代の変化を認識しなくてはならない現実というものを、そのとき痛感しました。

しかし、当初から学校の授業の中で燃料電池に関わろうとしたわけではありません。 その当時は、東京都のディーゼル黒煙規制の先駆けとなった「環境パートナーシップ東京会議」で「自動車使用に関する東京ルール」の提案を受け、ディーゼル・パティキュレート・フィルター(DPF)の試作を、生徒実習で製作する研究を進めていたからです。

ところが様々な事情で開発を断念せざるを得なくなり、私自身も少々落ち込んでいたんですね。そこへ化学を教える私の先輩が、燃料電池の模型を手渡してくれたんです。初めて見る燃料電池でしたが、モノの割りにはかなり高価だな、というのが第一印象でした。 それなら自作で安い模型教材を作ってみようか、というのが私と燃料電池との関わりのスタートになりました。自作模型は、電極をはじめとするすべてのパーツの自作を目標にしていましたので、原材料費のみで製作できました。 今から振り返って考えてみると、この製作工程で電極やイオン交換膜を製作し、発電できたことが最大の収穫でしたね。

オートバイづくりに生涯を賭けた先達に対し、未来に繋がる何かをしなければならない。

ところで、日本で初めてモータリゼーションが誕生したのは、約百年前に島津楢蔵が製作したガソリンエンジンがきっかけなんです。ご存知でしたか?それを自転車に載せたものが国産第一号のオートバイになったんです。

実を言うと、島津楢蔵という人は、私の縁戚にあたる人物なんです。 ええ、私に直接関係があるわけではないんですけれど。しかしながら、オートバイづくりに生涯を賭けた技術屋の先達に対し、私自身も未来に繋がる何かをしなければ、という意識は常に持っていました。

だから燃料電池をバイクに載せる、というのは、私の中で二つの意味合いを持っていたわけなんです。

ひとつは、化石燃料の枯渇や地球温暖化、さらに自動車が及ぼす様々な環境問題に対して、それを解決するための布石にしたい、ということ。私も教員として、子供たちに環境問題を伝えなければならない責務がありますしね。 そして、もうひとつ。これは私の個人的な想いではありますが、日本のモータリゼーションの先駆者である島津楢蔵に敬意を表したい、ということ、だったんです。

私と生徒たちの取り組みが、自動車を夢見るすべての子供たちにとって、最高の贈り物になればいいなと思いますね。

2 ペダルを漕がず走る姿に驚嘆の声~年を追って進化する燃料電池バイク